今昔

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ページID1014514  更新日 令和6年3月8日

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赤門通り(昭和30年)

今昔アングル4月号画像

 大通り方面から北に向けて撮影された「赤門通り」の今昔。
 突き当たりに見えるのが通りの由来となる慈光寺の赤門。
 昭和20年の宇都宮大空襲で焼失しましたが、平成20年に復元されました。
 昭和30年の写真には、ネオンのアーケード、のぼりや看板が目立ち、当時の活気を物語っているようです。

田川洗橋付近(昭和34年)

今昔アングル5月号画像

 田川に架かる「洗橋(あらいばし)」の左岸から市の中心部に向けて撮影された写真の今昔。
 現在の「洗橋」を建設中の昭和34年の写真には、「旭町の大イチョウ銀杏」や「松が峰教会」、「旧宇都宮商工会議所」が見通せます。
 「洗橋」の名前は、この付近の田川に、宇都宮藩の殿様の馬の洗い場があったことから名付けられました。戊
辰戦争の時に、土方歳三たちが宇都宮城を攻めるためにこの橋を通ったといわれています。

オリオン通り(昭和31年)

今昔アングル6月号画像

 現在のオリオンスクエア前から西に向けて撮影された「オリオン通り」の今昔。
 昭和31年の写真にあるネオンアーチは、昭和29年12月に取り付けられ、夜の街を色鮮やかに照らしていました。このネオンアーチは、アーケードを造るために昭和42年に撤去されました。
 現在のアーケードは、平成2年に造られた2代目になります。

宇都宮駅(昭和33年)

今昔アングル10月号画像

 JR(旧国鉄)宇都宮駅の今昔。
 昭和33年の写真は、鉄筋コンクリート総2階建ての4代目駅舎。1階は、改札や待合室などの駅施設で、2階は駅デパートの食堂や売店などがあり、当時としては関東随一を誇る近代的スタイルの駅でした。
 現在の駅舎は、昭和57年の新幹線開業に備え昭和55年に完成した6代目です。
 宇都宮の玄関口として歴史を刻んできた宇都宮駅は、平成27年7月16日に、開業130周年を迎えます。

いちょう通り(昭和33年)

今昔アングル8月号画像

 東武宇都宮線ガードの西側から東に向けて撮影された「いちょう通り(南大通り)」の今昔。
 戦後間もない頃のいちょう通りは、とても狭く、自動車が通るのもやっとでした。昭和33年の写真は、道路の拡
張工事が進んでいる様子がうかがえます。昭和34年に、現在の幅の道路と新しい東武線ガードが完成しました。中
央に見える「旭町のおおいちょう大銀杏」だけは、今も変わっていません。

釜川(昭和49年)

今昔アングル9月号画像

 市の中心部を流れる釜川の今昔。写真は、本町の「真光寺橋」から泉町の「二里山橋」に向けて撮影されたもの。
 古くから市民に親しまれてきた釜川は、昭和40年代の中ごろから、雷や台風などの大雨のたびに氾濫を繰り返し、下流の市街地を中心に度重なる被害をもたらしました。
 市では、昭和49年度から、本格改修に着手し、19年の歳月をかけて、全国初の二層構造河川として整備しました。
 現在は、樹木や自然石を配置し、水に親しめるせせらぎ空間になっています。

宮の橋(昭和39年)

今昔アングル10月号画像

 田川に架かる「宮の橋」の南右岸から、北東に向けて撮影された写真の今昔。
 JR宇都宮駅が開業した明治18年の翌年、駅と市街中心部を結ぶために、橋長約30メートルの木橋が架けられました。昭和39年の写真にあるコンクリート橋(橋長49メートル)は、昭和32年に架け替えられたものです。
 現在の「宮の橋」は、平成4年度から工事が始まり、平成7年に完成したもので、橋長は50.1メートルになります。

市営競輪場(昭和29年)

今昔アングル11月号画像

 宇都宮市営競輪場のメーンスタンドを捉えた写真の今昔。
 競輪場は、昭和25年に戦災復興事業の一環として造られました。その収益金は、学校建設などに使われ、本市の戦後復興に寄与しました。今でもさまざまな公益的な事業に役立っています。
 現在のメーンスタンドは、平成21年に改築された3代目。ちなみに、昭和29年の写真に写っているメーンスタンドは、大谷石で造られていました。

中央通り(昭和34年)

今昔アングル12月号画像

 「中央通り」の今昔。
 昭和34年の写真は、旧県庁舎の屋上から南に向けて撮影されたもの。左手前にあるのが公会堂、その奥が栃木会館大ホール、右手前から警察署、消防署、そして市役所が見えます。
 これらの建物は全て取り壊され、現在まで残っているのはトチノキ並木だけになりました。そのトチノキも、今では道路を覆い隠さんばかりの大木に育っています。

バンバ通り(昭和36年)

今昔アングル1月号画像

 「バンバ通り」の今昔。
 昭和36年の写真は、バンバ通りにあった仲見世が撤去されたときのもの。通りの中央に露店や飲食店が南北に軒を連ねていた仲見世は、両側にあった花屋敷や電気館などの映画館と併せ、市民の娯楽と憩いの場所でした。特に大正から昭和初期にかけては全盛期で、「宇都宮の浅草」として北関東一のにぎわいをみせました。
 道路が石畳みになり、ケヤキなども植えられている現在の景観とは大きく違っていました。

大通り(昭和27年ごろ)

今昔アングル2月号画像

 大通りの南側歩道から東の馬場町方面を撮影した写真の今昔。
 昔の写真の大通りは、幅18メートルでした。昭和27年度から始まった拡張工事により、昭和33年にはJR宇都宮駅から池上町交差点までの幅員が30メートルになり、道路中央には、分離帯が設けられました。
 昔の写真の左側に見える書店の場所には、現在、TDビルが建っています。左奥に見える4階建てのビルは、栃木相互銀行本店(現栃木銀行)でした。

オリオン通り(昭和55年)

今昔アングル3月号画像

 オリオン通りの入り口付近の今昔。
 旧写真の左から中央に見えるのが、昭和55年に完成した「スターロード」。オリオン通り曲師町商業協同組合の有志が収集した歌手やスポーツ選手、俳優など有名人約100人の手形タイルが敷き詰められていました。また、中央のボードには、各有名人の写真とサインが展示されていました。この「スターロード」は、平成8年度に、市とイタリアのピエトラサンタ市との姉妹都市提携に伴って、「大理石の道」として生まれ変わりました。

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